お金は命より重いのか?
どうもメーカー営業マン(@makereigyouman)です。
最近暇なので久しぶりに漫画「賭博黙示録カイジ」を読んでみました。
タイトルにもある通り、あるワンシーンが非常に印象的でした。
今回そのシーンについて私が思うことを書いていきたいと思います。
少々古いネタではありますが、どうぞお付き合いください。
金は命より重い
まずはじめにこれを読んでみてください。
世間の大人どもが本当のことを言わないならオレが言ってやるっ・・・・!
金は命より重い・・・・!
そこの認識をごまかす輩は生涯地を這う
とどのつまりこの世の正体は金の獲り合い
その争いが終わるのは企業なら破産・・・個人なら死去・・・つまり存在する限り人は際限なく金を奪い合っていく・・・・
それが生きるということ!人は金を得るためにその時間・・・人生の多くを使っている
言い換えれば自分の存在・・・命を削っている・・・!存在そのものを「金」に替えているんだ
引用元:賭博黙示録カイジ 利根川幸雄
お金は命より重いのか?
結論、私もお金は命より重いと考えています。
利根川に同意です。
基本的に人は、人生の大部分の時間を使ってお金を得ています。
利根川の言う通り、命を削ってお金を得ているんですね。
したがって、この時点で人生≒お金という構図が成り立ちます。
また、お金を使うことで命を延長させることだってできます。
お金で良い食べ物を食べれば、人より長く生きられるかもしれない。
こう考えると、お金は命より重いものと考えられるのではないでしょうか。
お金は時間を作ることも可能
人の人生は有限です。
人生の約1/3は睡眠で使われます。
それ以外の2/3は「仕事」や「余暇」などに使われるということです。
ということは、限られた人生の中で「仕事」などの時間を拘束するものがなければ、人生の余暇を増やすことだってできるのです。
仮に8時間労働とすると、8時間×40年が人生で消費されます。
一方でお金があり、働く必要なければ労働で失われるはずだった8時間×40年が余暇へと変わります。
この場合、人の人生の倍以上の余暇を楽しことだって可能です。
上記はあくまでもかなり極端な例ですが。
結局何が言いたいのかというと、お金で時間を作ることだってできるということです。
人生はラットレース
想像してみろ
いわゆるレールの上を行く男たちの人生を
小学中学と塾通いをし・・・・
常に成績はクラスのトップクラス有名中学 有名進学校と受験戦争のコマを進め
一流大学に入る・・・入って3年もすれば今度は就職戦争・・・
頭を下げ 会社から会社を歩き回り
足を棒にしてやっと取る内定やっと入る一流企業・・・
これが一つのゴールだが
ホッとするのも束の間 すぐ気がつくレースがまだまだ終わっていないことを・・・
今度は出世競争・・・まだまだ自制していかねばならぬ・・・!
ギャンブルにも
酒にも女にも溺れず仕事を第一に考え
ゲスな上司にへつらい 取り引き先にはおべっか遅れず サボらず
ミスもせず・・・毎日律儀に定時に会社へ通い
残業をし ひどいスケジュールの出張もこなし・・・時期が来れば単身赴任・・・
夏休みは数日・・・そんな生活を10年余続けて
気が付けばもう若くない30台半ば・・・40・・・
そういう年になってやっと蓄えられる預金残高が1千、2千万という金なんだ引用元:賭博黙示録カイジ 利根川幸雄
賭博黙示録カイジの利根川幸雄はこうも言っています。
このセリフの背景にはラットレースという言葉が思い浮かびます。
ここで誤解して欲しくないのが、ラットレース=労働ではないこと。
本来のラットレースの意味は、いくらたくさん稼いでもそれを消費にまわしてしまうために支払いに追われる生活から脱することができない状態のことです。
これをネズミの回し車に例えて表現しているのです。
ここで私が思ったのは、決して1千万というお金は軽いものではないということ。
ただそれだけですが、改めてお金の重みを感じたワンシーンでした。
最後に
生きていくためにはお金は必要不可欠な存在です。
お金は命よりも重いものであると思います。
一方で人生の選択肢を増やすためのツールでもあります。
私自身、幸せはお金がベースにあるとも考えています。
ただ、どんな人生を望み、何を成すのか。実現するためにやるべきことを続けているか。
ここの部分を明確にして初めてお金は有効的に使えるものと思います。
改めて自分は何がしたいのか、なにをやっていくべきなのか、なんのためにお金を稼いでいるのか、これらを一度見つめ直してみてはいかがでしょうか。
Have a good life!!
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